VUCA
伊万里から約三週間ぶりに帰京しゆっくりした週末なので、いつものインスタ転載でないブログを書いてみようと思います。
福岡空港から羽田空港に到着したのは夕暮れ時。ロビーから一歩外に出るとそこには懐かしい見慣れた景色がありました。
というのも羽田空港は、庭師修行時代に空港全域の植栽手入れをしていたからで、もはや思い出とも言える場所だからです。修行と言ってもすでに当時は立派な戦力として、ぼくは羽田空港担当のリーダー。ぼくを筆頭に五人ほどのチームでほぼ毎日空港にいたわけです。
ターミナルP2の最上階まで届く大きなメタセコイア、モチノキ、モッコク。空港サーキットの一千本のカイヅカイブキ、アキニレ。どれひとつもぼくが触ってない草木はありません。
ファッションスタイリストからまったく異業種である庭師へ転身し、たった4、5年でその立場へ駆け登ることは恐らく誰もが可能ではないし、そこには元々ある自分の素養に加え、後に引けない覚悟や熱意があり庭師と名乗って恥ずかしくはない自信にも繋がっているのだろうと思います。
ただ一方で、この仕事への不安と疑問が大きく芽生えました。
古くは平安時代まで遡る日本の庭という文化。そしてそれを創り出す造園という技法。それを維持する剪定や手入れという技術。ある意味ガラパゴス的な日本の文化は、庭師と呼ぶ職人を生みましたが、現在そのアイデンティティは失われつつあります。
都会では庶民は庭を持つこともなくなり、大きな造園屋の多くは公園や街路樹など公共事業やゼネコン仕事を入札で受注するしかない。でなければ多数抱えた職人を食べさせていけないからです。
どこにもある会社と同じ悩みです。また所属する職人も毎日当たり前のように会社がくれる仕事を当たり前のようにこなす。毎月似たような給料を貰い、ボーナスを貰い、日々の安定というもので思考を麻痺させる。職人もサラリーマンです。
ある年の造園会社の新年行事のこと、ぼくは司会進行を任されました。毎年誰かが選任されテーマを決めて喋るのですが、その時のぼくのテーマは「庭師の未来」。奇しくもフイナムアンプラグド今号のテーマと同じです。
とある博士が打ち出した、将来ひとの仕事がA.Iに取って代わられるもの。その予想には造園もあり、では現在の仕事のどこまでがA.Iや機械の進化で可能なのだろうか…恐らく近い将来すべてが可能です。
街路樹の剪定や伐採、沿道の低木刈込み、草刈りetc…そんなものはどんな機械が進化すればくらい容易に想像できます。
ただ創造、クリエイトすることだけはそう容易くはない。では庭師はこれからどこへ向かへばいいのか? それは公共事業やゼネコンとは距離を置いて、原点回帰するしかないと。それがぼくの持論です。
甚大な痛みは伴うだろうが、そこに皆で一緒に向かうならば、ぼくはこの組織に骨を埋めてもいい。そんなスピーチだったと思います。
ぼくはいまh.a.n.g主催としている。つまりそういうことで、あまり賛同は得られませんでした。笑
しかしそこで養った技術や知識は宝ものです。庭師のアイデンティティと、元スタイリストとしてのアンテナやセンスや俯瞰したモノゴトの捉え方。その双方を持って、ネオ庭師としてあたらしいモノ造りに挑みたいのです。
都会の暮らしに疲れて草木に癒されたくなったでしょ的な勘違いをよくされますが、ぼくは根っからの都会っ子で東京が大好きです。その東京からどんなカルチャーを発信できるのか、むしろスタイリスト時代より深化してると思っています。
毎度の三田真一とサシ飲み。
彼もまたもうスタイリストという肩書きなのか謎の存在ですが、ファッション道を真面目に突き進む姿はリスペクトしています。スタイリストという仕事だけじゃ生き残れない時代ですが、ぼくはファッションもスタイリストも馬鹿にしてるつもりもありません。向いてなかっただけです。
そんな感じですか。ぼくなりのVUCA。