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久しぶりに拝みたくなり、しょうざんの台杉庭園。杉は真っ直ぐ育つものだけど、台杉は幹の徒長枝を切りながら育てる。この独特な姿がとてもいい。自分的にはコイツを洋庭に使ってもいいと思う。#和洋ミックスが今のテーマ


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なかなか深い話を伺えました。


「庭師さんは、どなたもきまって盆栽はねぶりまへんなぁ」


そう語る盆栽師のおっちゃん。「ねぶる」とは関西の方言?で「舐める」ことらしいが、つまり「やらない」「弄らない」「嗜まない」ってことだと思う。


ぼくが東京から来た庭師だと知るや、観光客相手の会話から、職人同士の会話へと次元が変わる。


国宝級やそれに準ずるクラスの盆栽は、みな樹齢数百年、価値も数千万から億を超える。ただ盆栽はあくまで植物、生きものということが他の芸術や骨董品とは違う。


つまり一億円のアートはただ見守ればいいが、盆栽は手入れを続けなければならない。


たとえ国宝級でも二、三年も放置すれば樹形は乱れ、たちまち価値が無くなり、最悪は枯れて死ぬ。ふつうに考えればそんなリスクを背負った一億円アートに手は出せない。


樹齢数百年の国宝級の盆栽とは、つまり何代も何代も所有者からまた次の所有者へ、そして一流の職人が片時も怠らずに手入れをし続けた植物ということだ。


ただ盆栽師のそれと庭師のそれは違う。たとえばお台場の実物大ガンダムと144/1ガンダムみたいなもので。でもどういう姿が美しいかは同じ。


根本的なところは繋がっている。


しかもぼくのような庭に限らずショップの空間やディスプレイアートも手掛ける場合、盆栽を使うことも表現としては有りです。